文様の歴史9 明治・大正・昭和時代(2)

明治の文様
明治の文様においては、江戸の流れをそのまま受け継ぎながらも、新しい時代の文様染が求められ、例えば写生的な表現などに顕著です。しかし、新しい文様はなかなか想像されず、ぼかしを入れた絵画的な絵文様の出現などに、その混迷の程を見ることができます。
明治も30年代に入るとようやく、新しい文様の形式が見られるようになりました。

当時フランスで流行した、アール・ヌーボー(曲線を主体とした美術様式)の影響を受け、日本風な雲や流水などを曲線や渦巻に見たてたり、蔓草〈ツルクサ〉などをあしらったものが、一時的に流行しました。
また、文様の題材に、はじめて洋花が用いられたのもこの頃です。
明治後期には、さらに主題をひろげて動植物をアール・ヌーボー風の曲線で表わしたり、いろいろな試みがなされています。

     緑縮緬地歌仙色紋付
      坂田真一郎所蔵

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      山水風景模様訪問着
         宮嶋染匠所蔵

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      庭に垣模様訪問着
         宮嶋染匠所蔵

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明治から大正へ
明治の混迷から大正に入り、新しい文明は定着してきましたが、第一次世界大戦が起こり、戦後の国内情勢も不安定なままでした。
その中で、キモノの文様製作も、絶えず新しい試みを繰り返し続けられていました。
大正期の文様としてはセゼッション風の縞柄、更紗やエジプト文様が流行のテーマとなっていたようです。

昭和の始まり
明治の文明開化の影響による混乱や模索に似た現象は、2つの大きな戦争により、中断されたり、逆流したりしながら、第二次世界大戦後なおしばらく続いていました。
キモノの文様においても、マチス調やピカソ調などが流行のテーマとして、大まじめに取り上げられたのも昭和30年頃です。
そしてこのような、外来の文化に対する日本人の反応は、核時代に見られましたが、常に日本人ならではの世界を構成する方向にむかい、独自の美意識による表現を示すこととなります。

平成=現代のキモノへ
キモノの文様の歴史をふり返って、はるか1300年以上も前にさかのぼりましたが、それぞれの時代の変化がキモノの上にも見られたことがうかがえます。
明治・大正・昭和の模索期に、さかんに取り入れられた洋花も時がたてば、伝統的な菊や萩・梅などの前では、かえって色あせて見えることも多くなってきました。

キモノの形も少しづつ変化し、現在定着しているキモノの他にも、上下を分割したものや、ニューキモノといったものも作られています。それらもまた、新しいキモノとして受け入れられ、これまでとは異なった1つの方向を作り出すきっかけといえるのかもしれません。
しかし、日本の長い歴史につちかわれてきた美しいキモノとその文様は、一時の流行に左右されることなく今後も、日本の伝統美として輝きつづけることでありましょう。