文様の歴史3 鎌倉・室町・桃山時代(1)

武士社会の起こり
平安末期から武士が政権を握り始め、鎌倉時代に入って武家社会が確立されました。1192年源頼朝が武士の支配者(征夷大将軍)〈セイイタイイショウグン〉の実権を握ったのを始まりに、明治維新までの約700年間武家政治が続きます。
鎌倉から室町時代の中頃にかけての染織品の違例はやはり多くありません。
新しい文化の芽生え
室町時代は、足利氏が政権を把握し京都の室町で幕府を開いたことから始まりました。
1950年足利義満が京都の北山に「金閣」を建て、後に義政が東山に「銀閣」を建てました。したがって、両期の文化をそれぞれ北山文化、東山文化といい、特に北山文化は公家と武家の文化がとけ合ったことで注目されます。
また両文化ともに、新しく明の文化を受け入れたことで、独特の世界を完成させました。能楽・絵画・茶道・活花・建築・造園・工芸などのあらゆる芸術の分野で独自の気風が高まり、庶民の間でも明るくのびのびとした風潮が芽生え始めました。
この時代の文様は、比較的多く見られますが、やはり染織品の伝えられるものは多くありません。ただ、熊野速玉大社のおびただしい神宝類が平安以来の伝統的な染織美をうかがわせます。
南蛮貿易の恵み
織物技術の伝来
明の文化や禅宗を始め、海外の文化と共に縮緬〈チリメン〉・繻子〈シュス〉・綸子〈リンズ〉などの織物やその製造技術も日本に伝えられ、1555年頃、新しい紋織法が日本でも開発されました。数々の美しい外国の織物に刺激を受けた京の職人たちも、金襴や緞子、紋紗〈ドンス〉などの唐織物を製品化できるようになりました。
桃山時代から江戸時代にかけて、南蛮紅毛貿易によりもたらされたものは、日本の染織技術や文様に大きな影響を与えました。唐棧〈トウザン〉(棧留縞)〈サントメジマ〉や更紗などの多彩を用いた木綿の織・染物の渡来も見落とすことはできません。
能衣装裂
能装束に見られる豪華な唐織
室町・桃山・江戸初期は、織物の目覚しく発達した時代といえるでしょう。当時流行した能楽にも、新来の織物である唐織が盛んに用いられ、日本の染織美に新しい要素が加わりました。桃山時代におられた唐織能装束の「雪持柳文様」もその後、雪持笹・雪持椿など、積雪に耐える植物の素晴らしい文様パターンを生むきっかけを作りました。
一方、やはり明の影響を受けて、刺繍〈シシュウ〉・摺箔〈スリハク〉および繍箔などが華麗な世界を表し、その他、絞り・描絵などの技法が盛んに用いられました。

能衣装裂

唐織