文様の流れ
日本のキモノの歴史をひもとくと、その源は小袖〈コソデ9〉にたどりつきます。小袖は平安時代の頃、宮中に仕えていた者たちの装束の1つで、表衣の下に着ける下着的性質のものだったようです。それが現在でいう小袖の形に定着したのは室町時代前期の頃とされています。
日本の染織品に見られる文様そのものは、時代をさかのぼり、飛鳥・奈良時代に源を求めることができます。その時代の違例は、正倉院や法隆寺に伝えられていますが、染織品はいたみやすく、実物が残っているものは少ないようです。しかし、伝統的な文様としては、漆器・陶器・金属品、その他の工芸や絵画に見られ、それらをもとに伝統的な文様が現代に受け継がれています。
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衣服から見る日本の歴史
文様の歴史に入る前に、日本の衣服の移り変わりから、その時代の背景に少しふれておきましょう。奈良に都があった時代、美しい文様が描き出された時代、小袖が生まれる以前、日本は世界の動きの中で、どのような文化を築いていったのでしょうか。 |
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唐の文化伝来 日本古代の衣服は古墳時代の埴輪〈ハニワ〉に象徴されるようなツーピース型でした。飛鳥時代の服飾の一端は、『天寿国繍帳』〈テンジュコクヌイチョウ〉に見られ、朝鮮半島北方系の様相を示し、大へん特色があります。
次の奈良時代に入り中国(唐)の文化が遣唐使により伝来し、唐の装いが渡来しました。その頃の唐は、仏教・儒学、文学・美術工芸をはじめとする芸術が盛んで、アジアの中心的な文化都市になっていました。
日本では710年、唐の都長安にならって、平城京という大きな都が奈良に作られました。丹〈アカ〉くぬった柱、白い壁、青いかわら屋根といった建造物は、唐文化をそのまま日本で再現したものといえるでしょう。
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文様の始まり
正倉院や東大寺に収められている工芸品は、中国を経て輸入された外国製品が多く、日本製のものでも、中国の影響を強く受けています。その中で、染物は比較的日本製のものが多く、一方、織物はほとんどが唐製といわれています。
正倉院には「臈纈」〈ロウケチ〉( 纈染)・「纐纈」〈コウケチ〉(絞り染)・「夾纈」〈キョウケチ〉(板じめ染)の三纈〈サンケチ〉と呼ばれる代表的な染め物があり、その文様も現在に受け継がれています。
これらに見られる古典的な文様は、もともと中国から渡来したものが中心となります。亀甲〈キツコウ〉・格子〈コウシ〉・縞〈シマ〉・石畳・菱〈ヒシ〉・七宝〈シツポウ〉・鶴〈ツル〉・宝相華〈ホウソウゲ〉・鳳凰〈ホウオウ〉・孔雀〈クジャク〉・葡萄〈ブドウ〉・オーム・鴛鴦〈オシドリ〉・鴨など多様です。
これらの文様は中国よりもさらに西のシルクロードの国々のものを含み、中国を経て伝えられたものですが、長い間日本人が多用してきたことから、今日では日本の文様としてすっかり消化されているといえるでしょう。 |