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海辺松原塩釜景物文様小袖 江戸時代中期
この小袖は遠景に群れ千鳥をあしらい、中景には松原、塩釜と潮くみ桶、裾には松原や葛屋を配し、干網や篭が海の幸をあらわす。
芦に鎌が配されているのは謡曲の「芦刈」であろうか、歌枕として名高い玉川の一つ千鳥の名所陸奥の野田川の玉川「夕されば汐風こしてみちのくの野田の玉川千鳥鳴らなり」江戸時代に流行した歌枕や名所物語詩歌等に取材した小袖模様のひとつである。
所蔵 雅染匠
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藍鼠地 業平東下り図 江戸時代後期「文化文政期」
この小袖は「伊勢物語」の在原業平下りを表現した教養と文学趣味溢れる一領で御座居ます。武家の奥方か上褐が着用されたものと思われます。右袖に白雪を頂いた富士山を、浜辺には松原や網干に戯れる磯千鳥や、風に靡く芦をあしらい、のどかな磯風景を表現し、白馬に跨がる業平公が富士を仰ぎ見る様子や、馬の手綱を持つ家来の表情や太刀を持つ童子の姿にもこの一行の気品と着装者の教養を偲ばせてくれる非常に珍しい一領です。永年に亘りアメリカに渡っていたが近年我国に里帰りして来たものであります。
白木染匠資料室所蔵
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四季常磐木の松嵐山舟止め風景 江戸後期文化文政(1804〜1829)
この小袖は幕末の頃最も文化の華が咲き誇った頃の身分の高い御殿女中の衣裳ではなかったかと思われます。この小袖一領には着装者が私共に何かを語りかけてくれます。この文様は「?帽子と馬の轡と竹の鞭」による能の「小督」の物語ではないでしょうか。高倉帝の深い御寵愛を受け琴の名手であったが、時の中宮が平清盛の息女であったが為入道清盛の圧迫に堪えかねて京都嵯峨野の奥に身を隠され高倉帝は日夜嘆いておられ風の便りで小督の局が嵯峨野の辺りに居るとの事をお聞きになり時の皇宮警察部長弾大弼源仲国は勅令により月の明るい暁に嵯峨野を馬で馳せめぐり探しあぐねていますと嵐山大井川の舟つき場近くの法輪寺の辺りで「想夫恋」の琴の音がその音を頼りに小督の局の隠れ家を尋ねあてます。しかし小督は戸を閉じて中へ入れてくれません。侍女の執り成しで対面した仲国は帝の御文を渡しお返事を伺いますと小督は帝の思召しに感泣し・・。ロマンを秘めた物語りを一領の小袖に託した女官の想いが伝わって参ります。
白木染匠資料室所蔵
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絞り八ツ橋に桐文様寛文小袖裂
江戸時代前期
所蔵 木村染匠
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秋草虫籠茶屋染小袖 江戸中期
この小袖は「源氏物語」の野分きの一巻を表現した教養と文学趣味あふれる一領で御座居ます 八月の或る日源氏の六条院でも幾練かの御殿が倒れる程の野分きが吹き荒れ源氏は長男夕霧に秋吉中宮を見舞わせる そこでは野分きで秋草の乱れ伏した庭に女の童達をおろさせてここかしこの草むらに色々の虫籠を持ち歩き露をかわせていらっしゃる それが霞にかすんで桔梗萩菊女郎花などの秋草に虫の音をそえた風情がうかがわれる 文様は楊子糊で置かれたものか茶屋染の技法で藍濃淡挿しで誠に見事であります 
白木染匠資料室所蔵
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朱地鹿の子絞り 木目羽団扇四季束ね草花文様 江戸後期文化文政(1804〜1829)
徳川大奥をはじめ、御三家の御台所や上臈達の五節句式日の御服は、綸子縫入?文様の打掛に緋の大紋綸子の間着、掛下帯でした。打掛の綸子の地文は紗綾形に菊蘭で、上文の繍付立沸や子葵、紗綾形などの割付文と四季草花の花束を交互に配し、背縫いを境に左右の文様が違うように段片身替りの文様構成にしたものでした。本品はその代表的な一品です。羽団扇を配した一寸変わった柄ですが、紀州徳川家の規則規定等を買いた『南紀徳川史』には類似の図様が出ています。文様解説及び鑑定 美術評論家・共立女子大学教授 北村哲郎
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秋渓菊萩芒葛家文様「菊慈童帷子」 江戸後期文化文政(1804〜1829)
古代中国魏と呼ばれた国の文帝の頃郷縣渓谷山の麓から霊水が流れ出るというので勅使が源を尋ねるべくその山に赴きます勅使の一行は菊の花の咲き乱れた山中の庵に一人の不思議な少年を見つけ「人間の住まぬこの山奥にいるお前は化生の者か」と尋ねると「あなたこそ化生の者でしょう私は周の王に仕えていた侍童です」と答えます 勅使は「周というのはもう数代も前の世だ」と驚きます 話を聞くと彼は王に召し使われていたがあやまって王の枕をまたぎその罰でこの山に配流されましたが少年に悪意のないことと知った王はその枕に二句の喝「仏徳を讃えた詩」を書いて与えました その文字を菊の葉の上に移し書くとその葉の露が霊薬となりそれを飲んでいた為に少年は七百年後まで若々しく生きながらえていたのです 慈童自身も自分の長命に驚き楽しく舞をまったあと寿命を君に捧げそのまま山中の仙家へと帰って行きます 文様としては格調も高く墨を含んだ筆で菊の葉に文字を移しとったものと思われます 又硯は王朝以来絵画において秋を表現する景物でありますいずれ教養豊かな大名の息女の夏の衣装と思われます 白木染匠資料室所蔵
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磯風景訪問着     
平成 尾嶋邦氏創作
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立湧梅束ね文様小袖裂
江戸時代中期
所蔵 木村染匠
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源氏物語 紅葉賀文小袖     
江戸時代中期
この小袖は、王朝文化源氏物語を一領に託した作品です。朱雀院への行幸の試楽が宮中で行われ、幔幕を春はり巡らし火炎太鼓や笙、ひちりきの雅楽のもと烏帽子かぶとをかぶり舞うすがたが伺える。
所蔵 木村染匠
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浅黄縮緬地 遠山春雨山荘石橋模様小袖 江戸後期文化文政(1804〜1829)
この総模様の御殿風小袖は公家方や大名家の姫君や中級以上の高位の人の小袖と思われます文化文政の頃の素晴らしい作品と言えましょう この小袖の着用者は教養豊かな姫君が高位な女官だったと思われます文様の中にエリートな感性が教養がうかがえます 一領の小袖を絵画に見立て肩口には遠山連山に霞たなびき松や梅桜が一面に咲き綻ろび右袖には枝折戸の奥の山荘に琵琶が置いてあり松樹に蔦山荘に春雨が斜めに降るところがリアルに表現されております流水が流れ岩工には唐扇が配されていて謡曲「菊慈童」かと思われます 裾の石橋は謡曲の石橋を表わし千仭の谷に懸る苔滑かな石橋芳しい牡丹を橋上に経巻が見えるのは石橋のかなたの浄土の主文殊菩薩を表わし又轡文殊様が獅子に騎乗されるお姿を暗示して御座居ます この小袖1領に託された着装者の豊かな教養がしのばれます
白木染匠資料室所蔵
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白絹縮地四季草花花束に扇文様夜着 江戸時代後期
絹縮は晩春と盛夏の間、現在の時候で言えば五六月頃に着用された小袖や打掛に用いられる定めとなっていました。着用時期の短いこともあってか類例も少なく珍しいものです。また四季草花の花束に扇とか紗綾形あるいは青海波など具体的な文様と抽象的な文様とも交互に配し更に背縫を中心に左右で文様が食い違うようにした文様のスタイルは高位の女性の打掛の典型的なきまり文様です。夜具に仕立てなおされていますがおそらく御殿から拝領した打掛を町方では着用由来ないので仕立替えされたものと思われます。
文様解説及び鑑定 美術評論家・共立女子大学教授 北村哲郎 
白木染匠資料室所蔵
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文字入り水仙文様寛文小袖裂    
江戸時代前期
所蔵 木村染匠
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絞り星梅鉢に唐草文様寛文小袖裂
江戸時代前期
所蔵 木村染匠
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御所解文紋「小督物語」    
江戸時代後期
この小袖は、高倉帝の深いご寵愛を受けた琴の名手であった小督は、平清盛の圧迫から嵯峨の奥に身を隠されました。それを伝え聞いた高倉帝は、弾上大弼を嵯峨へ向かわせました。琴の音を頼りに住まいを探し、尋ねあて、帝の文をお届けになりました。それをみた小督は涙を流したのです。
所蔵 木村染匠
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波に四季の草花模様小袖裂 
江戸時代中期
所蔵 白木染匠
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扇に菊萩文様裂    
江戸時代中期
所蔵 木村染匠